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ウラジミール・ペーター・ケッペン


ウラジミール・ペーター・ケッペン(1846年-1940年)は、ドイツの気象学者で、5つの主要な植生分布に着目した「ケッペンの気候区分」を考案した人物です。

ロシア生まれのドイツ人のケッペン

 ウラジミール・ペーター・ケッペンは、1846年に、ロシア帝国の首都で合ったサンクトペテルブルクに生まれました。ロシア生まれではありますが、両親ともにドイツ人の家系です。というのも、ウラジミール・ケッペンの祖父が、ロシア皇帝のエカチェリーナ2世に招かれたドイツ人医師の一人であり、衛生面の改善のためにロシアに招かれ、後に皇帝の専属医師になりました。
 このようにドイツ人の家系に生まれ、1875年以降はドイツで生活していたことからも、ドイツ人と位置付けられています。

気候区分に着目したきっかけとなった青年時代

 ウラジミール・ケッペンの父であるペーター・ケッペンは、ロシア史の著名な研究者で、皇帝がその功績を認めるほどの人物でした。ペーター・ケッペンは、その皇帝からクリミアの沿岸に土地を与えられていました。
 そのこともあり、ウラジミール・ケッペンは、クリミアのシンフェロポリで中等教育を受けます。実家のあるサンクトペテルブルクとクリミア半島を頻繁に行き来する生活で、気候と植生の関係に興味を持つようになります。というのも、ウラジミール・ケッペンが過ごしたクリミア半島は植物の地理的多様性に恵まれ、サンクトペテルブルクとクリミア半島の移動は鮮明な地理的変化がありました。この時の生活が、後の研究に大きな影響を与えたと言われています。

小さな範囲から地球規模へ


図 アウグスト・グリーゼバッハの「地球上の植生分布図」

 ウラジミール・ケッペンは、1864年にサンクトペテルブルク大学で植物学の研究を始め、1867年にハイデルブルク大学に転校し、1870年にライプツィヒ大学で、「熱と植物の生長」の博士論文を発表しました。研究の初期は、「トロス地方の降水と風」や、「クリミア南岸カラバアの気温観測」、「ヨーロッパ一部の地方における降水確率」など、一つの地域を扱っていました。ケッペンが地球規模での気候分類に心を向かわせたのが、1866年にペーターマン誌に掲載されたアウグスト・グリーゼバッハの「地球上の植生分布図」であった。
 その後、ウラジミール・ケッペンは、1884年に季節ごとの気温分布を示した気候区分を発表し、1918年に今日広く知られる「ケッペンの気候区分」の初版を発表しました。この時点でA(熱帯)からE(寒帯)までの気候区分が定められていました。その後も改良を重ね、1936年にその最終版を発表し、1940年に現在のオーストリア・グラーツ(当時、ドイツ国)にて亡くなりました。

大陸移動説のウェゲナーとの関係

 大陸移動説を提唱したアルフレート・ロータル・ヴェーゲナーは、ウラジミール・ケッペンの娘婿です。ウラジミール・ケッペンは、70歳を過ぎてから古気候学に挑戦し、1924年にはウェゲナーとの共著で『地質時代の気候(Die Klimate der Geologischen Vorzeit)』という論文を発表し、ミランコビッチの氷期理論を強く支持しました。

参考文献

福井英一郎 1941. ケッペン翁の追想, 地理 4(1): 67-70.
小池ほか 2017, 『自然地理学事典』朝倉書店.
アウグスト・グリーゼバッハ 1866, 「地球上の植生分布図」

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